越前狩野派

越前狩野派とは?

狩野永徳はじめ、探幽などの江戸狩野派は幕府のお抱え御用絵師として主要的なものを独占的に請け負っていました。またそれに倣ってか諸大名も狩野派の絵師を召し抱えるようになりました。

福井藩も例外ではなく、3代藩主忠昌公は狩野派絵師渡辺了桂の子・狩野了之(りょうし)を京都において召し抱え、御用絵師とし越前狩野派を立ち上げました。

故に了之は越前狩野派の初祖に当たる人物です。そして、その嫡男である元昭(げんしょう)が家業を継承し2代目となるわけですが、大安禅寺の開基である4代藩主光通公に画才を認められ優遇されました。故に、その縁で当山には狩野元昭の作品が多く残されているのです。


それらは歴代住職により大切に護持され現代にすべて現存しています。大作としては先ず本堂の襖絵があり、十六羅漢図や山水図、故事人物図など力強くも繊細な墨画に元昭の才能が輝いている素晴らしいものです。

また当山開山である大愚和尚が、光通公を通して元昭に依頼した軸物では「釈迦三尊図」や「涅槃図」などの法具があり涅槃図は北陸最大といえる大きな作品で、実際に見て頂くと圧巻の作品です。

しかし、残念ながら越前狩野派は続かず9代目という短さで断絶します。その中でも元昭の作品は秀でており、専門の先生方からの評価を受けています。

いずれにしても、私からすれば人の評価云々は別の話で、大安禅寺の什物に変わりはなく歴住の和尚様が大切に守り伝えてきたものであることに意義があります。

すから、父は苦労しながらも修理をし後世に遺す努力を惜しまずしてきました。

私の代でも出来得る限り元昭はじめ越前狩野派を顕彰するためにも調査を続けながら護持していきます。今日はその為の調査を行ってもらいました。

いつか日の目を見る日が来ることを祈って。(大安禅寺 髙橋玄峰 合掌)

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