中学生から学ぶ「集中力」の話

大安禅寺の住職をしていると、面白い出会いがたくさんあります。
その中でも、私がいつも楽しみにしているのが、小学生や中学生、高校生の皆さんからの質問です。
特に夏休みになると、新聞づくりや自由研究、論文執筆などのために、お寺を訪ねて来られる子どもたちが増えます。その姿を見ていると、とても嬉しく思うのです。

世の中には答えを探す場所がたくさんある中で、お寺に目を向け、禅に目を向け、仏教の教えの中に何かヒントを見つけようとしてくれる。その純粋な探究心に、私自身が励まされ、学ばせていただくことも少なくありません。

昨日も、地元中学校の生徒さんが論文執筆の取材に来山されました。
テーマは「集中力」。

「無心になるにはどうしたらいいですか。」「集中力とは何でしょうか。」そんな率直な問いをいただき、一緒に考える楽しいひとときを過ごしました。

禅でいう「無心」とは、何も考えないことではありません。本来、心とは大きな入れ物のようなものです。さまざまな思いが自由に出入りできるほど広く、おおらかなものです。

しかし私たちは、「あれがいい」「これは嫌だ」「こうあるべきだ」「自分はこうでなければならない」と、自ら蓋をして心を狭めてしまいます。実は、その蓋をしているのは誰でもない、自分自身なのです。集中も同じです。「集中しよう」と、そのこと自体に囚われてしまうと、それはやがて我慢になります。

我慢は長く続きません。

だから大切なのは、無理に集中することではなく、心の視点(支点)を変えること。見方が変われば、心の働きも変わります。支点が変われば少ない力で大きなものを動かせるように、心もまた、視点を変えるだけで軽やかになるのです。


生徒さんは熱心に耳を傾け、一生懸命メモを取ってくださいました。子どもたちの素直な問いに触れるたび、私自身も初心に帰ることができます。今回の取材が、論文だけでなく、生徒さんのこれからの人生にとっても、小さな気づきの種となることを願っています。(住職)

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